SSブログ

【追悼】 [その他]

僕が初めて釣りをしたのはいつのことだったのだろうか。
物心ついたころから竿を握っていた?
そんなことはないだろう。

僕の記憶に初めて登場する釣りの場面は、ある夏の日。
僕がまだ小学生になるかならないかぐらいだったのではないだろうか。
釣り好きの爺さんに連れられて行った益田川。

爺さんは自分の釣った魚を僕の持つ短い竹竿に付け替えてくれた。
爺さんのお手製の竹竿を介して伝わる魚の感触。
この日以来僕は川釣りにのめりこんでいったのではなかっただろうか。

爺さんの家の目の前には小川が流れていた。
名前もない小川。
山の水を田んぼに引き込むための小川。
当時はまだコンクリートで舗装されておらず、アブラメ(アブラハヤ)がたくさん住んでいた小川。

夏休み。爺さんちに遊びに行くと、僕は朝から晩までこの小川で釣りをしていた。
爺さんのお手製の竹竿と、仕掛け。それから畑で捕まえたミミズで。

ある時この小川で尺アマゴを釣ったことがあった。
1メートルくらいの短く細い竹竿で大捕り物をしたのだった。
さっそく塩焼きにして食べたその味は格別。
爺さんたちはアマゴの骨酒を楽しんでいた気がする。

爺さんは夕方になるとよく孫たちを連れて益田川へ鯉釣りに出かけた。
お手製の練り餌を使った、吸い込み釣りだ。
鈴をつけた投げ竿を何本も並べてじっと待つ釣り。

鈴が鳴ると孫たちが先を争ってリールを巻き上げる。
時には50センチを超える大物が釣れることもあったなぁ。
小柄な小学生の僕は川に引き込まれそうになりながら必死に釣り上げたのを、今でもよく覚えている。
その時はしっかりと魚拓を取ったっけ。

爺さんは毛ばり釣りも教えてくれた。
裏山の沢へ釣りに行ったときはその毛ばりが活躍したなぁ。
ライズしているイワナの口元へ、その毛ばりをぽちゃぽちゃっとサイトフィッシング的に垂らしてやったら、そのイワナが飛び出してきて、あまりの迫力に僕はびっくりして強く合わせすぎて魚が木の枝に宙づりになってしまった。

お盆過ぎには益田川で毎年鮎の刺し網漁が解禁となる。
爺さんは解禁数日前にはお気に入りの場所を確保して、場所がとられないように見張っていたっけ。
解禁日には朝から河原に繰り出し、昼のサイレンとともに一日中川で鮎を捕って過ごしていたなぁ。
僕の小学生時代の夏の一大イベント。

こんな魚好きには願ったりかなったりの爺さんちの周りも、次第に開発の手が伸びていった。
小川が消え、裏山の沢も細り、益田川も工事が入り、少しずつ魚の影が薄くなっていく。
僕も遠くの大学に行くようになり、だんだんと物理的・心理的距離が離れて行ってしまった。

爺さんもだんだんと年老いていき、一緒に釣りに行くこともなくなった。
盆や正月に遊びに行くと、いつも自慢の野菜を食べさせてくれる。
「呑むか?」と言って、天領の一升瓶を傾ける。
お酒があまり強くない僕も、爺さんの勧める酒は断れない。
ついつい飲み過ぎてしまい、居間でダウンすることになる。

そんな爺さんの酒をもう呑むことは出来なくなった。
釣りの話ももう出来ない。

爺さんはあっちの世界に逝っても釣りをしているのだろうか。

いつか向こうの世界で会ったらまた酒を呑ませてもらおう。
そしてまた一緒に釣りに行こう。
nice!(0)  コメント(2) 

nice! 0

コメント 2

コメントの受付は締め切りました
メタ坊

私も祖父に釣りを習いました。
そして、私が持っている祖父のたった一つの形見は渓流竿です。
昨年、折れていた穂先を修理して、オショロコマを1匹だけ釣ってみました。
その後は大切にしまってあります。
祖父から習った『釣り』という趣味を、お互いに大切にしたいですね。
お爺様のご冥福を心よりお祈りいたします。
by メタ坊 (2011-07-27 20:59) 

たけ

>メタ坊さん
うちの爺さんのために祈っていただきありがとうございます。
爺さんとの思い出を忘れないためにも、これからも釣りを続けていきたいですね。
by たけ (2011-07-27 23:01) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。